【嫌いな人=自分】じぶんのこころにあるもの

【嫌いな人=自分】という記事を書いたら
いろんな人に刺さったようなので追記w

ひとつの考え方ですが、、

多くの人は、
じぶんの「外側」に世界がある

と思っている。

でも実はそれは勘違いで、
見えている「外側」の世界は
じぶんの思い込みが創り出した世界。

同じ物事に接しても、
人によって反応が違うのは
つまりそういうこと。

嫌いな人、、
例えばマウントを取りたがる人w
だとして。

そういう人を嫌悪するじぶんがいる。
本当はじぶんもマウントを取りたいのに
それはいけないことだ!
と思い込んでいて

⇒ じぶんは我慢してるのに、
なんであの人はやってるのさ!!

という、「じぶんに対する怒り」となり
それを相手のせいにして、

⇒ あの人、嫌い!!

となる。

でも、そもそも、
マウントを取ることに興味がない人
マウントを取ることをじぶんに許可している人
は、

マウントを取る人が目の前に現れても

「何とも思わない」。

⇒ あの人、嫌い!!
なんていう感情もわかない。

⇒その物事自体が
認識できない、見えない、氣付かない。

つまりね。

「じぶんのこころにあるもの」しか
認識できないし、見えないし、氣付かない
ということ。

イライラ、モヤモヤは
「じぶんのこころにあるもの」
だということ。

逆もしかり。

嬉しいこと、楽しいことも
「じぶんのこころにあるもの」
だからこそ、
認識できる、見える、氣付く。

【幸せな人】って、
「じぶんは幸せだーっ!!」
って思い込んでるだけなんだよw

「じぶんが何に幸せを感じるのか?」

それをじぶんでちゃんと認識していて
それをちゃんと実践できている人なんだよ♡

「大小は関係なく」、ね♬