実の父がワクチンを接種しました。
あんなに止めたのにな。
と思いつつも、いつかこんな日が来ると分かっていたかのように、怒りなどは湧いて来ない。
だけれど、余命宣告を受けたような感覚があって、それならば父のために何ができるのだろうか?ということをひたすら考えている。
人間は生まれたら必ず死ぬ。
そんなこと子どもでも知っているのに、日々を大切に生きるということを疎かにする。
年齢なんて関係なく、人は死ぬ。
私だって、次の瞬間に死んでいるかもしれない。
たまたま奇跡的に生きているだけ。
なのに、ね。
父の余命を感じたことで、今、私にできることは何だろうか?何を伝えられるのだろうか?ということを考えている。
父は、お父さん(私からすると祖父)を早くに亡くし、中卒で社会に出て、65歳を過ぎても働き続けた、仕事一筋の父。
とても無口で、シャイで。
でもすごく真面目でまっすぐで。
子育てや家事に手を出すことはほとんどなかったけれど、子どものことを大切に想っていることは伝わってきていた。
今思えば、父自身はお父さんを早くに亡くしたことで、父親像というものがうまく描けなかったのではないかな?と思う。
子どもに対して、どう接したらいいか分からないとか、遊ぶ暇もなく働き始めたから、遊びの中で学ぶコミュニケーションも知らなかったんじゃないかなぁ、、?って。
にも関わらず、父は、私たち子ども3人とも、大学まで出してくれた。
バブル期だったとはいえ、すんごいことだ。
昔から、父に対して、「もっと自由に遊んだらいいのに」と思うことがあったな、と、ふと思い出した。
やれば何でもできてしまう器用さがあり、中卒だけど頭が良い、パソコンだって我流で覚えていたし、字もめちゃめちゃキレイだった。
そんな父を密かに尊敬していた。
アウトプットがうまくないから、他の兄妹にはその凄さは伝わってないのかもしれない。
たぶん兄妹の中では私が最も父に似ていて、だからこそ分かることなのかもしれない。
父からもいちばん可愛がられていたと勝手に思っている。笑
今の旦那を紹介した食事会のときに、結婚式でもないのに泣いてくれた父。
普段、思っていることを言葉にできないから、涙の方が先に出ちゃったんだろうなぁって、その感覚が手に取るように分かって、泣けた。
今も書きながら大号泣している。
器用だけど不器用な父。
ただただ感謝しか湧いて来ない。
親はいつまでもいるわけじゃない。
生み育ててくれた感謝を胸に、今の私を生きる。
それだけが親孝行なんじゃないかな、
とも思う。